お題:愛があれば何でもできる?
愛があれば、何でもできる。少なくとも、今の私はそう思っている。愛する我が子のためならば、たとえ家庭科の成績が万年芳しくなかったこの私でも、幼稚園に持っていくお弁当袋くらいは手作りで用意してあげたい。
できるはずだ。いや、できなきゃいけない。なぜなら、私に残された時間はもうあまり長くはないから。
この子がおなかの中にいるとわかったとき、同時に判明したのは悪性の腫瘍があることだった。出産まで治療を止めたら、確実に病気は進行する。が、治療を優先させれば子どもは諦めなければならない。
子どもと私の生命、どちらも諦めたくない。
私は、主治医にそう伝えた。そして、一年前に長男を出産した。最近では食欲も体力もだいぶ落ちて、日中動ける時間も短くなってきた。
この子が幼稚園に通うころ、私が母として隣にいることは叶わないだろう。せめて、我が子を愛していた証を遺しておきたい。だから、この子が毎日使うであろうお弁当袋を作ろうと決めたのだ。
「まだ、起きてたの。もうそろそろ寝た方がいいよ」
夫は、やんわりこう言った。
「うん、あともう少しだけ」
私が続けようとすると、いつもは無理に止めることのない彼が、珍しく私の手に自分の両手を添えて作業を止めた。
「今日はもう、終わりにしよう」
「でも、もうちょっとだけやっておかないと間に合わないかもしれないから…」
私がそう言うと、彼はにっこり笑って首を横に振る。
「大丈夫、ちゃんとできるよ。それより、体力を消耗しすぎて明日動けなくなったら困るだろ。休めるときには、ちゃんと休まなきゃ」
そして、彼は私の耳元でこう囁いた。
「僕の愛があれば、君は何でもできるから」
ああ、そうか。そうなんだ。
この人もまた、私と同じ気持ちなんだ。彼の愛が続くかぎり、私の愛もこれから我が子へとつながっていくんだ。たとえ隣にいられない日がきても、私にはまだできることがある。
菜の花とモンシロチョウの刺繍を仕上げるのは、また明日にしよう。彼と私の愛があれば、できないことはないのだから。
追記:
「モンシロチョウ」の回(https://moklen.hatenablog.com/entry/2023/05/11/111000)で登場したお弁当袋。その作り手である彼女の目線で書きました。
お題:後悔
あっ、やべっ。傘忘れた。
いつものカバンになら、小さめの折り畳み傘が入ってたはずなのに。何で今日にかぎって、別のカバンを持ってきちゃったんだろう。
いわゆるゲリラ豪雨の最中、俺は己の行いを激しく後悔していた。そもそも、今朝の占いでラッキーアイテムが「日常使ってるものとは違うモノ」だなんて言うからだ。もっとも、そんな占いを鵜呑みにして以前使っていたカバンを久々に出してきた俺も俺だけど。
「あの、もしかして傘ないんですか?」
そう声をかけてきたのは、同僚の井上ちゃんだ。いつも明るく元気な彼女は、他部署からも人気がある。
「たしか、駅まで一緒ですよね。私の傘、結構大きいんでよかったら入っていきませんか?」
どうぞ、と彼女は笑顔で持っていた傘を差し出した。
「ありがとう、助かるよ」
さっきまでの後悔は一気に払拭された。
な〜んだ、結局あの占い当たってんじゃん。
明日のラッキーアイテム、何だろうなぁ。
そんなことを思いながら、駅までわずかな間の相合傘を楽しんだ。
追記:
基本的に後悔の要因となりそうなものはその日のうちに忘れてしまうので、後々まで後悔するということがあまりなく、このお題は書くのに苦労しました。
お題:風に身をまかせ
「ええか、コウキ。風に身を任せていれば、人生何とかなる。それでええ」
それが親父の口ぐせだった。
「人生には何度も何度も風が吹く。追い風のときもあれば、向かい風のときもある。そよ風みたいに爽やかに吹くこともあれば、台風みたいに強く激しく吹くこともある。そのときそのときで風の強さや方向を見極めて、自分の身を任せれば無駄な力を使わず生きられる」
その方が、無理することなく楽に楽しく生きられるというのが親父の主張だった。おかげで俺は、10代の前半で受賞した文学賞という「風に身をまかせ」、『作家 カワノコウキ』として現在に至っている。
「それで、そのお父様は今もご健在なんですか?」
それまで、俺の話を黙って聞いていた編集者の柏木が問いかけた。
「ああ、90過ぎだけど今も介護施設で暮らしてるよ。まぁもっとも、長い人生で風に吹かれすぎたせいか記憶もふっ飛んじまったみたいで、会うたび俺に「はじめまして、ご苦労さんです」って挨拶してくれるんだ」
「…悲しいですね」
「いいや、全然。むしろこっちも「はじめまして、お父さん。今日はよろしくお願いしますね」ってニコニコ挨拶して、毎回違う介護スタッフのフリしてるんだ。そのたびに、自分が書いてきた小説のキャラクターを演じてるから、作家稼業もなかなか役に立ってるよ」
「途中で気づかれませんか?」
「気づいてないと思うけどな。ただ、別れ際にいっつもあの口ぐせを言うんだ。「風に身を任せていれば、人生何とかなる」ってね」
「意外と、全部ご承知の上だったりして」
「そうだったら面白いな。そもそも、この言葉のおかげで俺は作家になれたようなもんだし」
すると、柏木は何かに気づいて「あぁ、そうか…」と呟いた後、俺にこう言った。
「もし、その言葉がなければ私と河野君はただの同級生のままだっだってことですよね。今、河野君と私が作家と編集者という関係でいられるのはお父様のおかげですよ。ありがたいことですね」
身ぃ任せなきゃよかったかな…と、俺は自らの人生の選択を若干後悔しつつ、この口うるさい編集者がすぐ横にいるから俺は未だに作家でいられるのかもしれない、とも思った。
誠に不本意だが、今日も俺の周りは良い風が吹いているようだ。
追記:
前日のお題(https://moklen.hatenablog.com/entry/2023/05/14/113000)に引き続き、作家の河野(かわの)君と編集者の柏木君の物語です。冒頭、河野の父が関西弁風なのは脳内再生が明石家さんまさんバージョンだったからです。こんな口ぐせにも関わらず、実直なサラリーマンだった父に憧れていたのに、気づけば作家の道を選んでしまった…という件も用意していましたが、話がややこしくなるので泣く泣くカットしました。
お題:おうち時間でやりたいこと
「へー、『人気作家がおうち時間でやりたいこと』ですか。そりゃあ原稿を書くこと、ですよねぇ?先生」
「俺がやりたいことを勝手に決めるな。だいたい、お前が俺のことを先生って呼ぶときはロクなことがないときだぞ、柏木」
「ロクなことがないって、それは締め切りを守らない河野君のせいじゃないですか。今回だって、ギリギリのギリまで待ってるんですからね、セ〜ンセ♪」
高校の同級生だった柏木と俺が、編集者と作家という立場でつきあうようになって数年が経った。学生のころから提出期限を守れない怠惰な性格の俺を熟知している柏木は、頃合いを見て原稿の催促と他愛もない無駄話をしに我が家へとやってくる。今回はたまたま、他誌で連載中のエッセイのテーマを見つけて絡んできたというわけだ。
「だいたいなあ、柏木。家で原稿書いてるときは「おうち時間」じゃなくて「勤務時間」だろ。ノーカンだよ、ノーカン」
「でも、原稿を書くこと以外で河野君がおうちで楽しむことってなくないですか?」
「だから勝手に決めつけるなよ。俺にだって趣味の1つや2つくらい…」
あ、あれ?
仕事や家事以外で「おうち時間にやりたいこと」って、今まであったっけ?
俺の思考は完全に停止した。柏木の言うとおり、10代最初から現在に至るまで俺にとって「自宅」と「原稿を書く」は1セットだった。それ以外に家ですることといえば食事、睡眠、掃除に洗濯といった「生命維持に必要な最低限のこと」くらい。外出も極力したくはないタイプだから、我ながら非常にタチが悪い。
「…ないんだ、やっぱり。これだけ待っても河野君の口から何も出ないってことは、おうち時間を楽しむアイテムは持ち合わせていないってことでいいですね」
「嬉しそうに言ってんじゃないよ、柏木。だいたい、他誌の連載なんだからお前は関係ないだろ」
「関係ないけど興味はあるんで。おうち時間にやりたいことがない人気作家の河野君が、どんなふうにこのエッセイをまとめるのか」
「そうやって、締め切り間際の作家をギリギリまで追い詰めていくのって趣味が悪すぎるぞ、お前」
そう言いながら、俺はあることに気がついた。もしかしたら、これが俺の「おうち時間でやりたいこと」かもしれない。
「おっ、ようやく何か思いついたんですか、大先生」
目の前でニヤニヤする柏木を無視して、筆を走らせる。
【おうち時間でやりたいこと。それは、かつて同級生だった奴と他愛もない話をして笑い合う時間を楽しむことだ】
冒頭の部分だけ彼に見せると、プッと吹き出し「いいですね、これ」と言った。悔しいけど、今日も俺は 知らぬ間に「おうち時間」を満喫していたようだ。
さてと、目の前の編集者様のご機嫌を損なわないうちに本日の「勤務時間」へと突入するか。
追記:
今回は創作モノをお休みするつもりでしたが、急に頭の中に河野(かわの)君と柏木君があらわれて会話し始めたので、このようなストーリーになりました。
ちなみに私が今、おうち時間でやりたいことは『友人からもらった本を読みたい』『こないだまとめ買いしたスタレビさんのライブDVDを観たい』『万年筆を洗浄しまくりたい』の3本です。
お題:子供のままで
突然の事故で両親を失ったとき、周りの親族は自分の都合ばかりを主張して、誰一人として僕を引き取ると言わなかった。
たまたまその場に居合わせた早苗さんは、大学時代からの両親の友人だった。彼女は、互いに責任を押し付け合う親族から僕のことを遠ざけ、こう言った。
「あのね、子どもが子どものままでいられる時間って、本当に短いの。だから、今は思いっきり「子どものまま」でいて欲しい。私たち、ちゃんとあなたが大人になるまで見守るから」
そして、未だ罵り合っていた親族に「彼は私が家族として養育します。どうぞご心配なく!」と言い放ち、僕の手を引いてその場を後にした。
その後の僕は、周りの大人たちに遠慮することなく「子どものまま」でいられた。それは、早苗さんがあのときの言葉どおり僕を見守り続けてくれたからだ。
今日、僕は成人年齢にあたる18歳の誕生日を迎えた。早苗さんに手を引かれた日から、干支が一回りした。
「いよいよ大人の仲間入りね。おめでとう」
笑顔でそう言ってくれる早苗さんに、僕は内緒で用意していた小さな花束を差し出した。そして、この日初めて彼女を名前以外で呼んだ。
「今まで本当にありがとう。これからも変わらずよろしくね、母さん」
母の目から大粒の涙がこぼれるのを見るのは、この日が初めてだった。いつまでもいつまでも、母は泣きながら僕を抱きしめ離さなかった。
明日は母の日。上手くできるかわからないけど、母の大好きなオムライスを作って祝おうと思っている。
追記:
「子どもが子どものままでいられる時間は短い」という早苗さんの台詞から、このストーリーは生まれました。母の日の前日に書いていたのでオムライスの件を入れましたが、実際の我が家では、「卵少ないんだから」という母の一言で具沢山の『ほうとう』になりました。
お題:愛を叫ぶ。
私、東雲初芽(しののめはじめ)はクラス担任の鈴木先生から「しののめめ」と呼ばれている。入学したときから卒業を間近に控えてもなお、顔を合わせるたびにこう呼ばれては生徒から集めた課題のノートやプリントを準備室まで運ぶよう命じられた。
「先生、「しののめめ」って呼び方、何か恨みがあるようにしか聞こえないんですけど。『おのれ、××め』って親の仇みたいな。もう、卒業も近いしそろそろやめてもらってもいいですか」
「別にいいじゃん、呼びやすいんだし。お前、もうすぐ卒業だろ。じゃあ、今更変えることないじゃんか」
「でも、「しののめめ」って東雲より一文字多いんですよ? クラスのみんなは『めめ』って呼んでくれるし」
「いいんだよ、別に。俺は友達じゃなくて「先生様」なんだから」
最後はジャイアンみたいなことを言って、結局呼び名は変わることなく卒業の日を迎えた。なんだかんだで3年間の高校生活で最も関わりが深かったのは鈴木先生だったので挨拶しようとするも、常に他の卒業生たちに囲まれていて話せそうにない。諦めて校舎の外に出ようとしたそのときだった。
「東雲!」
振り返ると、そこには鈴木先生の姿があった。先生が私の苗字を正しく呼んだのは、このときが最初で最後だったかもしれない。
「卒業おめでとうな!」
先生は笑顔でそう言って、私の頭に手を置いた。
先生、本当はあなたが好きだと伝えたかった。あなたと過ごす時間が何より大切だった。この先も、ずっとずっとこの想いは変わらないと言いたかった。「先生と生徒」という関係でなかったら、伝えたい想いはたくさんあるはずなのに。
「先生、3年間見守ってくださってありがとうございました」
こぼれそうになる涙を必死で抑え、こう言って一礼するのが精一杯だった。
「そのままでいろよ、東雲。じゃあな」
先生はそう言うと、後ろ向きで右手をヒラヒラさせながら校舎へと戻っていった。
その後、大学を卒業した私は縁あって母校の図書室で司書として働き始めた。鈴木先生とは「先生と生徒」から「先生と先生」になり、今では「家族」として共に暮らしている。仕事上は旧姓を使っているが、結婚して苗字が変わったのは夫である先生の方だった。
「だって東雲ってカッコいい苗字じゃん」
それが、夫が改姓した最大にして唯一の理由らしい。
「その割に、ちゃんと苗字呼んでくれなかったじゃない。いっつもいっつも「しののめめ」って」
「いや、あれは、つまり、その…だな」
どうにも歯切れが悪い。気になって問い詰めると、ようやく白状した。
「俺だけの呼び名でお前のことを呼びたかったの!」
初めて知った。あのときから、あなたは私を呼ぶたびに愛を伝えていてくれたんだ。今、耳まで真っ赤になっている先生の隣でそっと囁いた。
「ありがとう、マコトさん。大好きだよ」
追記:
こんなことを言うのアレなんですけど、東雲初芽(しののめはじめ)って我ながらめっちゃいい名前を思いついたなぁ、と。ちなみに、イメージ的には漫画『ほむら先生はたぶんモテない』のほむら先生&蓮見さんです。
お題:モンシロチョウ
「とおしゃん、みてみて! かあしゃんのちょうちょ、いるよ!」
そう言って、ハヤトが庭先でひらひらと舞うモンシロチョウを指差した。
「ぼくのおべんとぶくろといっしょだ!」
嬉しそうにはしゃぐハヤトの手には、菜の花の周りを舞うモンシロチョウを刺繍した手作りの弁当袋が握られている。ハヤトの母、つまり僕の妻チハヤが彼に遺した唯一のものだった。
我が子を身籠ったとき、チハヤは既に自分の生命が長くないことを知っていた。それでも彼女は僕の目を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「私、この子を産みたい。自分の生命と引き換えになっても、縁あって授かったこの命を守りたい」
覚悟を決めた彼女を前に、僕がそれを止められるわけもなかった。彼女は無事にハヤトを産み、2年という限られた時間をともに過ごした。
ハヤトが生まれて間もなく、チハヤはあの弁当袋を作り始めた。もともと超がつくほどの不器用さで裁縫の類いは避けて通ってきたという。
「でも私、この子が幼稚園に行くころはもういないから。せめて、私が母としてできることを1つでも遺したいの。モンシロチョウって、幸運を運ぶといわれてるんだって。ハヤトにも、幸せがたくさん運ばれてるようにいっぱい刺繍しないとね」
そう言いながら真剣な眼差しで刺繍する彼女は、苦手なことのはずなのにとても嬉しそうだった。こうして彼女の想いがつまった弁当袋は、この春幼稚園に入園したハヤトの手に渡ることとなった。
後から知ったのだが、モンシロチョウはこの世を去った者が姿を変え、ひらひらと舞いながらこの世に生きる者たちを見守っているとも言い伝えられている。おそらく、チハヤはそれも知っていたことだろう。
そういえば、ハヤトが幼稚園に行くようになってから庭先でモンシロチョウを見かける機会が増えた気がする。もしかすると、あれは…
「とおしゃ〜ん!」
ハヤトの声にハッと我に返った。そろそろ幼稚園に行く時間だ。今日もまた、あのモンシロチョウ達が彼を見守ってくれることだろう。