木蘭さんの「書く習慣」

アプリ「書く習慣」で書いた文章や日々の書写など

お題:君と出逢ってから、私は…

今年度から、私は地元の総合病院で医療従事者として勤務している。この種の仕事に就くことなど考えてもいなかった私を導いてくれたのは、間違いなく同級生のマナトだ。

愛される人、と書いてマナトというその名のとおり、彼は誰からも愛される存在だった。勉強も運動もそこそこできて、しかも話がとびきり上手くて面白い。中学時代の彼は、クラスのヒーローだった。

高校からは別の学校だったので、ともに過ごしたのは3年間だけだった。でも、卒業後も他の友人との会話には必ずといっていいほど彼の名前があがった。

ある日、中学時代の同級生から久々に連絡があった。そろそろ同窓会でもやるのかと思っていたが、聞こえてきたのは意外な話だった。

「お前、たしか地元にいるよな? すぐ来てほしい。マナトが入院したんだ」

驚いて病院に向かうと、そこには多くの同級生たちがいた。病室に案内されると、意識なくベッドに横たわり、人工呼吸器を装着されたマナトの姿があった。

初めてお会いするマナトのご両親から、彼が数年前から病に侵されていたことや、それでも直前までは普段通りの日常を過ごしていたこと、主治医から今週いっぱいもたないかも…と言われ、急きょ連絡のとれる人たちに声をかけさせてもらった、と教えていただいた。

あのころの、明るくて活発なクラスのヒーローとは全く違う姿のマナトだが、我々同級生たちは皆自然に受け入れた。教室が病室に変わっただくで、彼が部屋の中心にいることには変わりなかったからだ。それからほぼ毎日のように病室に行っては、彼を囲みながらご家族や他の友人たちと話をした。

「耳は亡くなるその時までず〜っと聞こえているものなんですって。今も、マナトには私たちの話していることが聞こえているはずよ。もしかしたら、急に起き上がって『今までの話、全部聞いてたよ』って言うかもしれないから悪いことは言えないわねぇ」

そう言って、マナトの母さんは笑っていた。いつかそんな日がくることを、そこにいる誰もが願っていた。

初めて病室を訪れてから3か月。マナトは1度も意識が戻ることなく、静かに旅立っていった。ちょうど七夕の夜だったから、織姫と彦星が彼の手を引いていったんだろう。

その後、私は医療の世界へ足を踏み入れた。あのとき、彼と病室で過ごした特別な時間が忘れられなかったからかもしれない。現在、コロナの影響で入院患者への面会は家族のみとされ、人数や時間も大きく制限されている。あのとき、同様の制限があったら面会することすら出来なかったのだ。もし、そうであれば人生は大きく変わっていただろう。

マナト、あれから何度も思い出してはあの3か月間があって本当によかったと心からそう思ってる。また君と会うその日まで誇りに思える、そんな濃密で特別な時間だった。


マナト、君と出逢えて本当によかった。

 

追記:

実際の友人がモデルですが、基本的にはがっつりフィクションです。創作モノを書くこととは無縁だった私が「この話は創作でないと書けない」という選択をするようになったのは、この友人の存在が大きいかもしれません。もう旅立ってから何年も経つけれど、今も私に影響を与えて続けてくれる大切な友人です。出逢ってくれて、ありがとう。